About the sommelier KYO

ソムリエール京について

このサイトをご覧くださりありがとうございます。

このページでは私がソムリエールとして
現在の仕事を始めるまでの長い道のりをお話し致します。

家業だけは継ぎたくなかった

福岡県田川市内で、昭和24年から続く
しまたて酒・食料品店の創業者の孫として生まれました。

家業が忙しく、休日や夏休み・冬休みも
家族で出かけたりすることがなかったので
物心ついた頃より、家業だけは嫌だ
早く大人になって違う世界へ行こうと思っていました。

念願叶って世界へ

広い世界が見てみたい、
自由に旅行がしてみたいという一心から
客室乗務員を目指し、ひたすら苦手な勉強をしました。

幸運にもレインボーの航空会社に採用され
空を飛べるようになりました。

ファーストフライトは羽田から南紀白浜。
今はなきYS-11国産プロペラ機の乗務で、
揺れる機内で酔いもどしそうになりながらも
上空から見た富士山の凛とした息を呑む美しさは
今でもはっきり覚えています。

最初は国内線から始まり、
国際定期便にも乗務できるようになりました。
同期をはじめ人に恵まれ夢をつかむことができました。

そして ワインとの出会い

国際線ではウエルカムシャンパンから始まり、
季節ごとに数種類のワインが提供されます。

機体の構造や外国語の勉強は嫌々でしたが、
サービスするお酒(特にワイン)の勉強は楽しくて仕方なくて、
知りたい→飲みたい→知りたい→飲みたいの
連鎖にはまってしまいました。

ワイン好きのお客様と機内でお話が弾み
気付いたら深夜という事も多々あり、
次のシーズンはどんなワインが採用されるのか
ワクワクでした。

ソムリエ資格取得

会社の国際線撤退と共に退職し、
その後は新聞社や企業の秘書業務に就きましたが、
ワインへの愛は収まらず、当時福岡に開校したばかりの
ワインの学校アカデミー・デュ・ヴァンに通い資格を取得。

ここで現在もご縁のある恩師に出会うことができました。

今振り返ると必然の出来事ばかりなのですが、
この時は将来ワインを生業にするとは想像すらできませんでした。

その日は突然。Uターンの決断

病気ひとつせず健康が取り柄でバリバリ働いてきた父が、
突然お店で倒れそのまま生涯を閉じました。

これまで商いに情熱を傾けてきた父の無念さと、
母の今後の不安を思いUターンして母を、
お店を手伝う決断は迷いなくできました。

あんなに嫌だった家業を継ぐ?
熟考すると違う決断になっていたかもしれませんが、
考える時間すらなく。

そうです、
全ては必然だったのだと今は思えます。

たくさんの感謝とこれからの恩返し

文句ひとつ言わず娘を送り出してくれた両親と祖父母への感謝
田舎にUターンすることを後押ししてくれた家族への感謝
新たに出会えた仲間やスタッフさんへの感謝
この地で73年間商いできていることへの感謝
支えて下さった地域のお客様への感謝

これからは家族へお客様へ地域へ、
恩返しをしていきます。

父は食材の目利きが自慢で、
鮮度のよい品質の良いものを
できる限り安価に提供することに
こだわっていました。

私にできる方法で、
しまたて商店にワインの柱を確立していきます。

1本のワインは人と人を繋ぐが信条です。

いつか観た映画のワンシーンのように、
あの時ソムリエールに選んでもらったワインがあったよねと
思い出のひとコマになりますよう、
心を込めてお一人お一人のワイン選びのお手伝いをさせていただきます。

長々とありがとうございました。
皆様のお役に立てるよう頑張って参ります。